【令和7年度戸田市戦没者追悼式】

【令和7年度戸田市戦没者追悼式】
本日、戸田市戦没者追悼式を開催致しました。本市では戸田市遺族会の皆様と3年に1度、追悼式を開催しております。
厳かな中で開催された式典には浅生議長はじめとするご来賓にご列席いただき、ご遺族や市民の皆様が参列されました。式典では式辞、黙祷、追悼の言葉、献花、唱歌とつづきました。
戦後80年が過ぎ、苛烈を極めた先の大戦の記憶は風化しつつあります。
あの3年8ヶ月の戦時下で、前途ある多くの若者の命が失われました。戸田市においても400余のご英霊が戦地に赴き戦火に斃れました。
遺族会の平均年齢は85才。当時の状況をリアリティを持って伝えることが非常に困難となる中、私たちの世代は次の世代に戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える責任があります。
本日はそうした思いを込めて献花させていただきました。
以下は、令和7年度戸田市戦没者追悼式の市長式辞です。
[市長式辞]
本日ここに、ご遺族をはじめご来賓多数ご参列の下、戸田市戦没者追悼式を挙行するに当たり、先の大戦で亡くなられた全ての御霊に対し、市民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。
数多の尊い命が失われた先の大戦より、節目となる80年の歳月が過ぎ去りました。
この「戸田市戦没者追悼之塔」の前に立ち、戦争で亡くなられた方々、一人ひとりに思いを馳せるとき、祖国の平和と発展、また家族の安泰を願い熾烈な戦闘の中で傷つき斃れた皆様、あるいは異境の地に残され、飢えや病に苦しみ、祖国に帰ることがかなわなかった皆様のご無念が浮かび、尽きることのない深い悲しみが胸にこみ上げてまいります。
また、最愛のご家族を失われ決して癒されることのない深い悲しみを胸に、今日に至るまで長く苦しい日々を過ごして来られましたご遺族の皆様の心痛を拝察いたしますと、痛惜の念に堪えません。
戦没者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様のご労苦に対し、心から敬意を表します。
私は、戦後に生まれました。戦争を体験していない世代の一人でもあります。現在、戦争を体験していない世代がこの国の多数を占めるようになりました。
私たちが当たり前のように享受してきた「平和」は今、当たり前とは言えなくなってきています。平和は、祖国のために命を捧げた戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはなりません。
そして悲惨な戦争を二度と繰り返さないため、その記憶を風化させることなく平和の尊さを次代に継承することが、この時代を生きる私たちに課せられた重要な使命であり、戦没者の方々に報いることであると信じております。
世界では、長期化しているロシアによるウクライナ侵攻をはじめとした、武力衝突が発生し多くの尊い命が失われております。
一日も早い平和を望むとともに、今後も皆様と協力したゆまぬ努力を重ねていくことをここにお誓い申し上げます。
結びにあたり、戦争により亡くなられたすべての方々の安らかなご冥福と、ご遺族並びにご参列の皆様のご健勝ご多幸を心からご祈念申し上げまして式辞といたします。
令和7年11月1日
戸田市長 菅原文仁
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