【副市長退任、職員定年退職】
2期目の初登庁日となった本日は、年度末の最終日でもあり、公務員の宿命でもある別れの日です。
市役所内は定年退職と人事異動の慌しい日でした。
9時からは定年退職する6名の方々へ市長として定年退職の辞令交付を行いました。
退職される方々への挨拶では長年にわたるご尽力に感謝を伝え、違う立場となっても戸田市と我々後輩たちに力添えをお願いしたいとお話しました。
また16時からは、就任以来2年間私を支えていただいた内田貴之副市長の退任に伴う辞令交付を行ないました。
内田さんは就任直後から新型コロナの対応を担い、市役所の部局間の連携や医療機関と協力体制作り市独自のワクチン接種対策とスピードアップなど、実に多彩なアイデアで数々の政策を打ち出して頂きました。
戸田市のコロナ対応の成果は内田さんのマネジメント力によるものが大変大きかったと思います。
さらに、マスコミ関係のプレスリリースの方法をひとつとっても、記者の方々が書きたくなるような伝え方をすることで市のリリースが良く記事になりました。
調べたところ、今年度戸田市は新聞だけで611回(毎日の感染事例除く)も掲載されています。
一方で、市役所職員からも内田さんのような行政職員を目指したいと言う話も出るようになり、人材育成の面においても大いに市政の発展に尽くして頂きました。
専門家から96.5%と評価された私の公約達成率にも力を発揮していただくなど、まさに「スーパー公務員」と呼ぶに相応しい方であったと思います。
私から最後に、豊臣秀吉が天下人になるきっかけとなった日本史に残る伝説の大強行軍「中国大返し」を進言し絶体絶命の危機を千載一遇の好機に導いた稀代の軍師、黒田官兵衛の名言「草履片々、木履片々」という言葉を送りました。
この言葉には、片足に草履、片足にゲタを履いたチグハグな状況でも、走らなければチャンスは掴めないという意味がありますがこの2年間を振り返ると、副市長には何度もこのように進言を受けてきた気がしています。
内田副市長は明日から埼玉県職員に戻られますが、持ち前の仕事に懸ける情熱と知性溢れる企画力を生かして名軍師としてさらなる飛躍を心から願っております。
内田副市長、2年間大変お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました